妊娠・出産しました

出産しました
MESSAGE 128

不育症の検査の為に通い始めました

私は2005年9月、2007年7月と二度流産を経験し、不育症の検査の為IVF大阪にお世話になりました。私と主人の様々な検査の結果、私自身の血液検査で赤ちゃんに栄養を与える血管に微小血栓ができやすい抗体が少しあるとの事でした。タイミング治療で妊娠し、高温期から小児用バファリンの服用を始めました。妊娠中は初期からつわり、中期~後期にかけてお腹のはり等でしんどい時もありましたが、出来る限り食事内容には気をつけていました。IVFでルイボスティーが不育症にもいいと知ったので、日常的に1日中水分はルイボスティーを飲用していました。毎回の妊婦検診の度、赤ちゃんは元気かな?心臓はちゃんと動いているかな?と不安になったものです。心の中でバイアスピリンを服用しているから大丈夫と自分自身に安心させていたこともあります。後期35週でバイアスピリンの服用を中止するときは不安で仕方なかったです。そんな不安もよそにお腹の子はすくすく成長してくれて、無事41週2日で元気に生まれてきてくれたときの感動は忘れられません。検査費用もかかり、精神的にもしんどかった事もありましたが、IVFに思い切って通って本当に良かったです。不妊症や不育症にしても、パートナーの協力も大切だと思います。福田院長の説明もとても分かりやすく、安心感があり、短い期間でしたがお世話になりました。ありがとうございました。

2008.12.16

出産しました
MESSAGE 127

これから懸命に生きていきたい

第一子を人工授精で授かった後、何度もの人工授精を試みましたが妊娠に至らず、第一子とあまり年の差も空けたくないと思い、第二子の体外受精に踏み切りました。幸運にもたった一回の採卵、体外受精で妊娠することができました。しかも胎のうは2つ。双子ができるんだと幸せな気持ちになりました。ですが妊娠10週目の頃、一方の赤ちゃんの胎動がみられなくなり、心拍も確認できなくなりました。とても悲しくてショックを受けたのですが、一人の子が元気に育っていて、動かなくなった子に対しては何の処置もせず、妊娠を継続できたことが不幸中の幸い。一人の子を無事出産できました。産まれた子はもう一人分の命も受け継ぎ、今、一生懸命大きくなってきてくれています。体外受精でニつの受精卵を戻したが故の辛いエピソードでしたが、生まれられなかったこの命をこれから家族で懸命に生きていきたいと思います。クリニックには本当に感謝しています。

2008.12.16

出産しました
MESSAGE 126

不妊治療を通じて得たもの

二児の母親になり、今でも夢を見ているようです。どうもありがとうございました。思えば長い道のりで、この間子供が欲しくてたまらなくて、辛くて「人ってこんなにも驚くほどたくさんの涙が出るものなのか」と思うほど毎日泣いたものでした。しかし、不妊治療を通じて、大切だと気付いたことがあり、大きなものを得ました。1つ目は「自分に必ず赤ちゃんができる」と信じ込むことです。信じていれば、どんどん前向きに考え、行動できるようになるからです。お金も時間も痛みも「自分が一番やりたいことをやっているのだから、辛くない。素晴らしい機会に感謝したい。」と思えるようになるからです。自然に頑張れる心のエネルギーになります。2つ目は、「もし結果的に子供ができなくても、そのことを恐れない」ことです。人生はどこに着いたかではなく、どこに向かって歩いているか、つまり結果ではなく、過程(プロセス)が大切です。結果が思い通りにならなくても、不妊治療に向き合って、夢を目指し歩いてきた道はきっと輝いており、充実していたと感じられると思います。そうすれば自分を肯定でき、人生に勇気と活力を与えてくれる宝になるでしょう。最後に…岡本真夜さんの曲の中で、私のお気に入りのフレーズです。“信じる力ほど強いものはなくて、頑張っている人に天使は舞い降りる”

2008.12.16

出産しました
MESSAGE 125

双子の宝物が我が家に

結婚13年目を経過して、主人から真剣に「子供が欲しい」と言われたときには正直戸惑いを覚えました。私自身41歳という年齢から、子供よりも老後へとシフトしていましたから…。しかし、2人で話し合いこの1年間だけという期限を設けての不妊治療を開始しました。会社帰りの注射の為の病院通いや、土曜日毎の診察等、精神的にも体力的にもそのときが一番辛かったと思います。妊娠が分かった時は本当に知らぬ間に涙が出ていました。妊娠6ヶ月からは切迫早産で入院したりしましたが、無事双子の宝物が我が家にやってきました。
41歳の私が母親になれたのも、先生方や看護師さん方のおかげと本当に感謝しています。

2008.12.16

出産しました
MESSAGE 124

命の尊さを教えてくれました

私は、H19.9頃、初めてIVFの方を受診し、11月に妊娠が分かりました。それまでは近くの産婦人科の不妊治療に通っていましたが、妊娠されているお母さんの姿を見るのが辛くなり、「不妊治療に専念しよう!」「今は子供を授かるBESTな状態を何より大切にしよう!」と決心して、IVFに通うことにしました。結局、最初の検査をし、結果を聞きに行った時には妊娠してました。ちょうどその頃に20年3月末で仕事を辞めることを決め、ほっとしたのもあったのか…仕事をしながら病院に通えるのかどうか?という不安から開放されてか…本当に突然のことで驚きました。妊娠してからは、わりと順調で…5ヶ月目以降は仕事で無理しすぎて、お腹がはったりもしましたが、赤ちゃんは元気に育ち、H20.6.25に無事出産しました。47時間半もかかっての出産でしたが、子供の姿を見れたときには本当に感動しました。欲しいと思ってやっとできた赤ちゃん。周りの人たちもたくさん応援してくれていたこともあり、何人もの人たちが涙しながら一緒に喜んでくれました。不妊治療に通うまでは「子供ができること」がとても簡単なことのように思えていましたが、実際になかなか子供ができず焦った後の妊娠は、命の尊さを教えてくれました。本当に子供が欲しいと思う家庭に赤ちゃんが授かることを心から願います。事版未 ならない不安を感じておられると思いますが、子供を授かり産まれた時の喜びを思い描いて、皆さんが笑顔で出産できることを願ってます。私はカウンセリングでも、とってもラクになりました。ありがとうございました。              

2008.12.16

出産しました
MESSAGE 123

1度しか無い人生、悔いの無いように

子育てに追われ、なかなか書類を送れず申し訳ありません。
去年7月に無事男の子を出産し、1歳の誕生日も迎えることができました。私たち夫婦は、結婚して3年目に男性不妊が分かりましたが医療治療は受ける気になれず、漢方などは試しながら年月ばかりが過ぎ…どうしても子供をあきらめられず、あるきっかけでIVF大阪クリニックを最後の望みと訪ねたのが、結婚18年目、主人が47才、私が43才のときでした。体外受精で顕微授精でのチャレンジです。私も年齢的にギリギリで主人と相談して「3年間チャレンジしてダメなら子供は諦めよう」とスタートしました。
1回目、採卵はしたけれど子宮筋腫がある為、胚移植できず、まず筋腫の手術をし、受精卵は凍結して、その年の末に1個胚移植しましたが着床せず。その後、2年間で、時間とお金が許される限り、筋腫手術を口実にパート先も辞め、短期集中的なチャレンジだったと思います。十数回チャレンジし、胚移植までいったのは1/3の確率でした。
3年目の夏に、何度やってもダメだし、お金もはじめの予算をオーバーしていて、もうやめようと思いましたが、主人に励まされ、少し休んで11月に最後のチャレンジをしました。
先生が「薬や注射をせず、自然に採卵しましょう」といわれ、自然周期で1個採卵でき、子宮にもどすことができました。12月1日の判定の日、先生に「良かったですね『+』ですよ。神様はいるんだねぇ」といわれ、「まさか!?」と思いました。すっかりマイナス思考で子育てをイメージできなかった私は、思わず「どうしよう!」と言ったのを覚えています。あの日から1年10ヶ月になりますが、子育てに追われながらも「こんな日が来るなんて夢みたい」だと度々思います。
IVF大阪クリニックの先生方をはじめ、スタッフの皆様のお力無くしては今日の幸せはありませんでした。IVF大阪クリニックとのご縁に感謝するばかりです本当にありがとうございました。
通うのに、年齢的に引け目が非常にあったのですが、皆様がいつも変わらずあたたかく優しく接して下さったので、その面でのストレスは全く感じず通い続けることが出来ました。
IVF大阪クリニックに通う間、妊娠のために良い!と続けて行った事は掲示板の手記にあった「グレープフルーツジュースを飲む、納豆を食べる」他には「葉酸のサプリメントを飲む」「散歩をする」です。バランスの良い食事やカフェイン、アルコールを控えることも出来る範囲で行いました。友人にすすめられて1ヶ月に1万円もするサプリメントを飲んでみたりもしましたが、続かず、途中でやめました。最後のチャレンジのときはクリニックの薬類、サプリメントなども飲んでなかったので、後から思えば高価なサプリメントなど飲む必要は無かったかな?…と思います。妊娠中は、ありがたいことにつわりも少なく、とても元気に過ごせました。
最後に、IVF大阪クリニックを訪ねるきっかけとなった、たまたま子宮ガン検診で行った産婦人科の先生のお言葉を!年齢を重ねながら子供を諦められず、くよくよしていた私に、「1度しか無い人生、悔いの無いようにやるだけやってみて、ダメならダメで、また、子供が無いなら無いなりの人生がありますよ」…と。お子さんのいらっしゃらない女医先生のお言葉だからか、胸にズシンときました。

2008.10.09

出産しました
MESSAGE 122

家族や周りの方に支えられて毎日が幸せ

5月31日に女の子を無事に出産しました。2人目不妊で、初の不妊治療でしたが34歳という年齢もあり、いきなり顕微授精に挑戦しました。治療への不安、薬の副作用、上の子の事…たくさん乗り越えなければならず長く長く感じた治療と不妊生活でしたが家族や周りの方に支えられて今は毎日がとても幸せです。上の子も妹ができたことをとても喜び、そんな姉妹を見ていると嬉しくなり、辛かった治療が遠い昔の事のようでもあり点あの時決断してよかったと心から思います。妊娠中、切迫流産で入院したことも、久しぶりの痛かった陣痛も、命を授かった喜びで全てが大切な思い出です。
この病院と、先生方、カウンセラーの先生に出会えた事に感謝しています。本当にありがとうございました。

2008.10.09

出産しました
MESSAGE 121

双子を授かりました

タイミング療法で双子を授かりました。妊娠中も順調だったのですが、33週目の検診で、中毒症のおそれがあるため管理入院を翌日よりするよう言われました。入院当日に赤ちゃんの心音を見ると不安定だったため、急遽帝王切開にて出産となりました。現在は私だけ先に退院し、赤ちゃんはNICUに入院中。毎日搾乳したおっぱいを病院まで届けています。
不妊治療中はわからなかったけれど、治療を受けられている方は身近にたくさんいらっしゃるということ、そして妊娠・出産されている人がたくさんいるということを知りました。そして心強く感じました。IVF大阪の先生方、本当にありがとうございました。

2008.10.09

出産しました
MESSAGE 120

目の前が本当に輝いて見えました

IVF大阪の先生やスタッフの皆様には、大変お世話になりました。卒業の日におめでとう!と皆様に送り出されたことが懐かしく思い出されます。
通いだして、自然での妊娠が出来ないだろうと分かった時は本当にショックでした。すぐに体外受精をすすめられましたが信じられず人工授精から開始し、顕微授精へと挑戦しても陰性で、夫婦共に精神的に辛くなってしまい、しばらく休む事にしました。その間は二人でできる色んなことをしました。それでもやはり子供が欲しい気持ちに変わりなく、諦めきれず、先生のすすめでIVMにチャレンジすることにしました。すると2回目のIVMで陽性判定を頂くことができました。その時のIVMは色々と条件も悪く移植後も熱を出し、体調を崩してしまい、体温も見事に下がっていたのでびっくりしました。
もう子供は出来ないのではないか、諦めないといけないのではないかと悩んだ日々でしたが妊娠していると分かった時には目の前が本当に輝いて見えました。嬉しくて号泣しながら先生に何度も「本当ですか?」と確認したあの感動は今でも忘れられません。
安定期に入るまでは不安との戦いで出産は超難産だったため、産後までは安心することは出来ませんでしたが、今は本当に元気いっぱいの我が子と出会えてあのとき頑張ってよかったと思っています。ずっと欲しかった気持ちと2人で十分な時間を過ごしたおかげか、育児は毎日楽しく、笑顔でいっぱいです。
本当にありがとうございました。
私たちと同じように悩んでいらっしゃる皆様にも赤ちゃんが授かりますよう願っています。

2008.10.09

出産しました
MESSAGE 119

初の人工授精で妊娠出来ました

2人目不妊で通い始めて、しばらくはタイミング治療をしていました。仕事と治療の両立で何度か挫けそうになりましたが、先生の治療計画を信じて頑張りました。順を追って、タイミング→人工授精→体外受精と進んでいこうと決め、初の人工授精で妊娠する事が出来ました。人工授精当日、院内のお茶会のクリスマスパーティーに参加して、ホットルイボスティーやジャスミンティーを何度もおかわりをしました。体内が暖まるのを感じながら、何となくその後の人工授精が成功するような予感がありました。妊娠中はお腹が張りやすく、ずっと張り止めを服用しましたが無事出産できました。

2008.10.03