私は1人目も2人目も体外受精で子供を授かりました。1人目は違う病院でしたが2回目の挑戦で授かり、2人目はIVF大阪クリニック様でなんと1回で授かる事が出来ました。
年齢も37歳という事もあり、ホルモンの状態など、私はパニック障害という持病を抱えながらもどうしても2人目が欲しいという願いから、初めから体外受精をするという考えで、昨年の3月にIVF大阪クリニックに初診で伺い、5月には待望の赤ちゃんがお腹に授かるという、すごい速さで授かりました。病院の先生やスタッフの方々がとても親切・丁寧に対応して下さり、驚くほど丁寧に説明なども時間をかけてして下さり、納得のいく事ばかりでした。私は1人目は7年病院に通い、2人目はIVF大阪クリニックで3ヶ月で授かる事が出来、信じられない気持ちでいっぱいです。今は子供も5ヶ月になり、元気すぎるくらい良く笑い、動く子です。
皆さんも、治療には大変な精神力とお金がかかります。私はその気持ちは人一倍分かっています。何度も涙しました。諦めかけた時もあります。でも今は、頑張った分だけ神様はちゃんとプレゼントを下さるのだと思っています。後悔のないよう、頑張って下さい。
2008.07.01
自分の赤ちゃんをこの手で抱けるなんて夢にも思いませんでした。
他の病院でタイミング法・人工授精・体外受精をしましたが子供は授からず、精神的にも経済的にも余裕がなくなり、1年半ほど治療を休みました。知人のおめでたい話を聞くたびに、もう一度チャレンジしてみようと思い、やはり諦めきれませんでした。叔母がこちらの病院を知っていたので、インターネットなどで調べて、新たな気持ちで挑みました。
造影検査で卵管が左側は完全に塞がり水が溜まり、右側は微かに通っている状態でした。先生から「両方切除した方がいいです。治療法は体外受精がよいでしょう。」と言われた時は、かなりのショックを受け頭の中が真っ白になりました。卵管を切除するなんて考えてもみませんでしたし、もう二度と自然には赤ちゃんを産めませんと言われているのと同じなので、先生に何とか卵管を残せないかお願いしました。自分が取り乱しそうになったので冷静になろうと深い深呼吸をして一生懸命考えました。今まで他の病院で4回も辛い体外受精をしたけど惨敗だったのに、果たして今度こそ成功するのか?でもこのままだと出産年齢のタイムリミットも刻々と近づいているし、時間も若さもお金では替えないし、何もしないよりはもう一度頑張ってみよう、そして中岡先生に全て任せてみようと思いました。手術はやはり左側は切除しましたが、右側は癒着を切り離し残してくれました。自分の中では右側の卵管だけでも残してくれたので、正直ほっとしました。平成20年2月に女の子を授かり、無事に産まれてこの腕に抱けているのが夢のようです。出産後に病室で親子二人きりになった時、我が子の顔を見つめるとボロボロと涙が止まりませんでした。
今考えてみると、何もしないで待っているより、前に進んで再度治療に臨んで本当に良かったと思います。中岡先生と関係者の皆様に出会えて本当に感謝しております。
2008.06.30
思い返せば2年前、腹腔鏡検査の結果、卵管癒着の為100%自然妊娠は不可能と診断され、落ち込んでいた事を思い出します。正直、体外受精をする事にかなり抵抗がありました。しかし、やがて年を取ってから「あの時体外受精をしていればよかった」と後悔したくなかったので、医療の力を素直に借りる事にしました。採卵をする度に、様々な気持ちが重なって涙がこぼれたのを覚えています。3度目の採卵の時、中岡先生が「これで最後になるように頑張りましょう」と声をかけて下さいました。3度目の正直で、体外受精をしていなかったら授からなかった小さな命を授かりました。小さな受精卵はすくすくと育ってくれました。毎日、悪戦苦闘しながら育児を頑張っています。親切・丁寧に接してくださった先生、看護師の皆様、本当にありがとうございました。いつか兄弟をつくってあげたいと思っています。
2008.06.26
H20.1.24、IVF大阪クリニックで体外受精により授かりました、待望の男の赤ちゃんを無事に出産致しました。現在、子育てに追われながらも幸せな毎日を送っております。
思い返せばH18の秋、妊娠しづらい体質の為か子供に恵まれず、私の年齢は33歳になっておりました。インターネットでIVF大阪クリニックを知り、思い切って病院を訪ねてみました。当初、タイミングを見ていただき妊娠の時期を計ってみたのですが、仕事をしていた為にここぞという時に通う事が出来ず、もどかしさ故に病院へ行っては看護師さんの前で泣いてしまっていました。そんな時、優しく声をかけ励ましていただいた事を思い出します。そしてH19の春、思い切って妊娠の確率が高い体外受精に踏み切る事を決断しました。IVF大阪クリニックに通い始め少々早い決断ではありましたが、先生に相談してみたところ「分かりました」と体外受精に向けての計画を作成していただきました。仕事が休みのゴールデンウィーク中、毎日のように病院へ通い、計画通り1つ1つ実行していき、無事妊娠に至りました。IVF大阪クリニックの皆様に支えられ、スピード妊娠できました事、心から感謝しております。
現在、妊娠を希望されている皆様にも、どうか赤ちゃんが授かられます事を心よりお祈り申し上げます。
2008.06.23
通院を始めて約2年、40歳という年齢もあり、「もう私には無理なのかな・・・」と諦めかけていた矢先、体外受精4回目で妊娠が判明しました。しかし喜びも束の間、妊娠5週目で突然出血があり、驚いて病院へ行くと「切迫流産」との診断で、絶対安静と言われ入院することになりました。その後7週目まで心拍が見えず、先生より「来週になっても心拍が見えなければ、妊娠継続は難しい」と言われた時はショックでしたが、「まだ赤ちゃんはお腹の中で頑張っているはず。私が弱気になってはダメだ!絶対大丈夫!」と祈り続けました。すると8週目でやっと心拍が見え、超音波の画像でパクパクと動いているのを見た時は涙が止まりませんでした。その後2ヶ月の入院の後は順調に育ってくれて、4月8日に無事、自然分娩で出産することができました。2850gの女の子です。私にも子育ての喜びを体感することができたことに感謝しています。先生、スタッフの皆様、本当にありがとうございました。
2008.06.20
人工授精2回、体外受精2回目にして、めでたく妊娠しました。不妊治療期間は約2年かかかりましたが、頑張ってきて良かった!と思いました。妊娠中は子宮筋腫が炎症を起こし2週間入院したり、原因不明の湿疹が体中に出てかゆみで苦しんだり、出産前には子宮頚管が短く切迫早産になりかけて自宅安静を強いられたりと、ゆったりマタニティライフを楽しむ事は出来ませんでしたが、無事に自然分娩で出産出来ました。産まれた時は、今までの事を思い出して感動で涙が出ました。諦めずに頑張ってきたからかわいい赤ちゃんに巡り会えたんだな~、と実感しています。
2008.06.20
現在、2歳10ヶ月の女の子と2ヶ月の男の子を育てながら日々忙しく過ごしています。
当時は治療に行くたびに溜め息をついたり、涙がこぼれたり、悲しい気持ちになった事もありましたが、病院では同じように頑張っている人がたくさんいるので、私も絶対に自分の子供を抱っこできると信じて頑張りました。妊娠中は豆粒ほどの子供の姿を見て、涙がポロポロとこぼれました。本当にお腹の中に命があるんだなぁ~と。今も2人の子供達に「産まれてきてくれて、ありがとう」と幸せな気持ちになります。泣いたり笑ったり、子供がいる生活は大変ですが、その何倍もの幸せをくれています。病院の先生方や家族、友達、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
2008.06.20
今回2人目(女の子)を出産しました。1人目がなかなか授からず、5年前初めてIVF大阪クリニックに行きました。1人目(男の子)は3回目の人工授精で授かりました。そしてどうしても兄弟を作ってあげたくて再び通い、2人目は5回目の人工授精で授かりました。IVF大阪クリニックの方は皆さん優しく、いつも気持ち良く通院することができました。妊娠してから転院する時はいつも寂しい気持ちになり、出産まで診てもらえたらなぁと思いました。不妊治療には最初は抵抗がありましたが、最初の一歩を踏み出さないと何も始まらないと思います。通院して本当に良かったです。そして今では一男一女を授かったことにとても感謝しております。1人でも多くの方が可愛い赤ちゃんに会えることを願っています。
2008.06.20
治療に関して言えば、「諦めないで!!」の一言です。授かると信じて下さい。きっときっと可愛い赤ちゃんが来てくれますから!
2008.06.20
平成20年2月20日、2990gの男の子を無事出産しました。何度も何度も流産を繰り返し、精神的にボロボロな状況でIVF大阪クリニックに訪れました。中岡先生、杉原先生のお力を借り、2度目の人工授精で今回の出産に至りました。妊娠中は不安が絶えず、胎動を感じるようになって少し安心しました。不育症だったので不安が大きかったのですが、「必ず会える!」と信じて毎日を送っていました。初産にも関わらず、陣痛を感じてから3時間で産まれました。我が子にかけた初めての言葉は、「やっと会えたね・・・」でした。涙が止まりませんでした。現在治療中の方も、「必ず会える!」と信じて治療に専念して下さい。この喜びが皆さんにも訪れるよう祈っております。中岡先生、杉原先生を始め、スタッフの皆様、ありがとうございました。
2008.06.20